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日常生活の中の仏教用語


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  1. 「日常生活の中の仏教用語」は文藝春秋の中に掲載されている大谷大学の広告を整理・編集したものです。
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 目次
001.出生   002.出家   003.更正   004.意地   005.無尽蔵   006.後生   007.中道   008.無常

009.愛染   010.転生   011.解脱   012.地獄   013.蓮華   014.不覚   015.ルンビニー   016.大事

017.内証   018.愚痴   019.利益   020.名声   021.三蔵法師   022.方便   023.正業   024.魔

025.信心   026.変化   027.愛   028.同朋   029.成道   030.通達   031.智恵   032.四苦

033.冥加   034.慈悲   035.菩薩   036.下品   037.分別   038.甘露   039.流通   040.縁起

041.兎角   042.宗教   043.殺生   044.長広舌   045.無我   046.加護   047. 天眼         
[001]出生 しゅっしょう目次へ戻る
教授 吉元 信行(よしもと しんぎょう)

 辞書で「”シュッセイ”出生」を引くと、「”シュッショウ”を見よ」とある。
文字どおり、胎児が母胎を出て生まれることである。「出生(しゅっしょう)」
という名詞、あるいは「出生する」と動詞に使われる以外に、「出生地」「出生
届」など、日常よく使われる言葉であり、これが仏教用語であることはあまり意
識されないで使われている。
 仏典には、人が出生するということは、父母の和合など様々な因縁によって成
立することが述べられ、「もしくは母が飲食をするとき、種々のこれこれの飲食
物や精気(エネルギー)によって活名することが胎を受けることの根源である。
形体が完成し、感官がそろい、母によって出生を得る」(『増一阿含経(ぞうい
つあごんきょう)』巻30)と説かれる。このように、出生という言葉には、私
がこの世に生まれてきた背景は種々様々な縁(条件)によっているのだという意
味が込められているはずである。
 このことを現代の我々にはっきりと教えてくれるのがブッダの出生をめぐる伝
説である。このことはまた「生誕(しょうたん)」「降誕(ごうたん)」などと
いう言葉でも讃えられる。よく知られているように、ブッダは生まれたばかりで
北に向かって七歩歩み、「天上天下唯我独尊」と声高らかに獅子吼(ししく)し
たという。この言葉の字面を見ると、ブッダは何と傲慢な人であると思われるか
も知れない。
 ところが、この部分に相当するインドの原典を見ると、「私は世界で最も老い
た者である。これは最後の生である。もはや再生はない。」という文が加わって
いる。生まれたばかりの赤ん坊が最も老いたというのはどういうことであろうか。
それは、誰よりも多くの輪廻を繰り返して今ここに生まれてきたという過去を背
負った言葉であり、もうこれ以上生まれ変わることはないという決意を秘めた言
葉ではなかろうか。そうすると、「唯我独尊」とは、「私は様々な因縁によって、
誰よりもかけがえのない尊い命をもらってこの世に生まれてきた」という意味に
なる。出生とは、我々が今ここに生を受けて生活しているこの現象が如何に意味
深いものであるかを考えさせてくれる言葉である。
[002]出家 しゅっけ目次へ戻る
教授 吉元 信行(よしもと しんぎょう)

 出家とは、宗教的な目的をもって、世俗生活を捨てることを意味する。そこに 
は、家を捨てるという悲壮感、あるいは、隠遁・逃避という暗いイメージは拭い 
きれない。

 ところが、インドにおける「出家」という言葉の原語(pabbajita)の語源には、家
を出るという直接の意味はなく、それは“積極的に前に進むこと”という意味で 
ある。ブッダは、王子としての栄華を極め、結婚をして一子ももうけたが、老・ 
病・死という人間としてどうしても避けることのできない現実を直視して、29歳 
で出家した。すなわち、ブッダにとって出家とは、目的をもった第二の人生への 
積極的出発であり、家を出ることはその一つの手段であった。

 インドでは古来、アーシュラマと称して、人間の一生を学生期(学問・技術・祭
祀等の修得)、家長期(生業に励み、家族を養い、社会的活動をする)、林棲期(家 
督を譲り、森で修行する)、遊行期(巷を歩き、人生の道を人に説く)の四期に分け
て、これに従う人生こそ最も理想的な生涯教育のあり方であるとされていた。そ 
して、人生後半の林棲期と遊行期(わが国では老年期に当たる)の人が最も高く評 
価され、尊敬を受けていたのである。ブッダは、その遊行期の出家者の神々しい 
姿にひかれて、出家を決意したと伝えられる。

 このブッダの生き方は、現代の豊かな物質文明を誇る高齢化社会における人間 
の生き方に大きな示唆を与えてくれる。出家という言葉の本義が、第二の人生へ 
の積極的再出発であるとしたら、たとえ家を出るという形態はとらなくても、自 
分の人生を真剣に考えて、新たな生き方に気づいたとき、その人の人生の新たな 
再出発になるということである。そのことが現代社会における出家と考えられな 
いであろうか。最近、大学でも、人生とは何かを改めて問いなおし、有意義な余 
生を送ろうとする中・高年の学生が目立つようになった。多くの若い学生たちの 
中にあって、彼らの目は、誰よりも希望に輝いている。私は、人生の一番円熟し 
た時機に、なおそこで新たに自分の人生を問い正し、研いていこうとする彼らの 
姿に感動を覚えるのである。
[003]更正 こうせい目次へ戻る
教授 吉元 信行(よしもと しんぎょう)

「更生」という言葉は「生き返ること、新しく変わること」という意味でよく
使われる日常語である。たとえば、倒産企業の会社更生法の申請、廃物の更生、
悪からの更生、更生保護、更生施設、更生医療など。しかし、この言葉は、宗教
的に重要な意味をもつ仏教用語でもある。
   
『涅槃経』という大乗経典に、体の衰弱でまさに死なんとする帝釈天[たいし
ゃくてん]という神がブッダの説法によって生き返ったとき、次のような感謝の
気持ちを告白している。
    
 世尊よ、私は今、即死即生しました。命を失い命を得たのです。(中略)
このことがまさに“更生[きょうしょう]”です。あらためて命を得たと
いうことです。                 (『梵行品第八』)
   
 このように仏教においても、過去を捨てて、まったく新しく生まれ変わること
を意味している。このことは、次のような原始仏典の物語にも見ることができる。
   
 ブッダの時代、アングリマーラという仏弟子がいた。彼は、もと残忍な凶賊で
あったが、ブッダの教化で比丘になった。ある時、彼が托鉢していると、難産の
婦人を見かけた。当時、お坊さんに真実の言葉を唱えてもらうと安産するという
俗信があり、真実語で婦人を助けようとした。しかし、何百人もの殺人をした彼
にとって、自分の過去についての真実の告白はどうしてもできないので、ブッダ
の所へ帰り、教えを求めた。そして彼はブッダに教えられた「私が仏弟子となっ
て以後、決して他を害したことはありません」という真実語を婦人の前で唱えた
ところ、彼女は安産した(『中部経典』八六)。
   
 彼は出家をしたけれども、罪の意識に苛[さいな]まれて、なかなか覚りが得ら
れなかった。しかし、このブッダの教えによって、暗い過去のしがらみを越えて、
仏弟子としてすっかり生まれ変わって、これからの精進こそ大切なことであると
学び、最高の仏弟子の境地に達したという。
  
 一般に、更生というのは、周りから手助けされるもの、与えられるものと受け
とられがちであるが、私たち自身が強い意志をもって、新しく生まれ変わり、変
革していこうとする主体的な意味をもつことをあらためて仏教は教えてくれてい
る。
[004]意地 いじ目次へ戻る
教授 吉元 信行(よしもと しんぎょう)

 「意地」という言葉は、一般に、自分の思うことを通そうとする心という意味
に使われている。日常、「横綱の意地にかけて」「男の意地」などという使われ
かたもあるが、だいたい「意地を張る」「意地を通す」「意地になる」、あるい
は、「意地悪」など、「強情」と同義で、どちらかといえば、あまり良くない意
味に使われているようである。

 「意地」はもともと仏教用語であり、人間の五官による認識、(眼識・耳識・
鼻識・舌識・身識)の次にくる第六意識(心)のことである。それは、あらゆる
ものを成立させる根源になる大地のようなものであるとされている。人間の心は、
ちょうど大地のように、あらゆるものを生み出し、またおさめる無限の可能性を
もっている。

 しかし、人は、人間関係において、どうしても自分中心にものを考えるもので
ある。その心が日常語でいういわゆる“意地”という感情を生み出し、それが思
うようにならないとき、被害者意識がはたらき、怨みが発生し、そこに紛争が起
こってゆく。

 そのように、心は思い通りにならないということは、人間の歴史始まって以来
の大きな問題であったろう。ブッダも、もちろんこの問題に真正面から取り組み、
人生が思い通りにならないこと(苦)の生起する原理(縁起の理法)を発見した。
ブッダは心について次のように説いている。
  遠くさすらい、独り行き、形もなく、洞窟に隠れた、この心を制御する人は、
  魔王の束縛より脱する。         (『ダンマパダ』第三七偈)
 仏教は、まさにこの心の制御の道を教えるものである。人間の心を分析すると、
誰にもあるたえず自己を愛してやまない領域の深層意識から、思い通りにならな
い心(意地)が生じ、それによって人生の様々なトラブルが発生していく。その
ような紛争をもたらす自分の心をコントロールする方法を追求していくのが仏道
である。その心を制御するのも、大地のような心に他ならない。

 今日、いわゆる意地によって様々な紛争が起こっているが、実は、意地という
言葉そのものの奥に、自らの心の制御という紛争解決の鍵が隠されているのであ
る。
[005]無尽蔵 むじんぞう目次へ戻る
助教授 佐賀枝 夏文(さがえ なつふみ)

 仏教というのは、まさにそれ自体尽きることのない無限の功徳であるから、そ
のことを尽きることのない財宝の蔵に比喩して表した言葉である。
   
 また、寺院に布施されたものを、必要に応じて低利で貸し出した金融機構や中
国の寺院が飢饉の際の貧民救済を目的に、布施されたものを蓄えた蔵の呼称であ
った。   
   
 貧民救済の役割を果たした無尽蔵は仏教福祉のひとつの源流としてみることが
できる。また、現代の社会福祉の基本的な「しくみ」と類似していることも興味
がある。無尽蔵と社会福祉の「しくみ」の類似点をあげると、無尽蔵は布施を蓄
え、それを必要に応じて分配し、社会福祉は税金を蓄え、それを必要に応じて社
会福祉サービスとして分配をする点にある。社会福祉は分配を行う方法として多
岐にわたる社会福祉関係法を発展させてきたので、複雑でわかりにくい。しかし、
基本的な「しくみ」は単純化すれば無尽蔵と同じである。

 両者の間には見落としてはならない違いがある。それは、無尽蔵は尽きること
のない「仏法」を背景に、真の人間救済を実現しようとするのにたいして、社会
福祉は「法律」を根拠に人間を救済しようとするところの違いである。「仏法」
は普遍の法であるが、社会福祉の「法律」は児童福祉法、老人福祉法にしても、
いくら分化、細分化しても完備することはない。法律の隙間ができると、それを
埋めるための法律がつくられ、幾重にも法律が社会福祉の骨組みとしてでき上が
っていくという図式である。

 また、普遍の法は人間を暖かく包むのにたいして、社会福祉の法律は人間と人
間の間に介入はできても、その距離を縮めることはできない。今や、人間がつく
った法律によって人間の「孤立化」に拍車がかかっているのではないだろうか。
   
 ピカピカの社会福祉施設のなかで、人間不在の制度というサービスが行われる
のであれば、私は御免こうむりたい、私は尽きることのない広大で無尽蔵な仏法
に通じるところに身と心をおきたいと思う。
[006]後生 ごしょう目次へ戻る
教授 大内 文雄(おおうち ふみお)

 後生とは、後生・来世ともいい、死後の生をいう。後生の一大事と書けば、それは極楽浄土
への往生を願い、生前一心に念仏につとめることを指すが、いささか手垢にまみれてくると、
どうでもよいものを後生大事に抱えこむとか、後生ですからお赫しを、と身を卑(ひく)くして
頼みこむ風に使われる。

 ところで、中国の建康(今の南京)に都をおいた東晋と、それに続く南朝宋の、いずれも亡国
の君主となった恭帝と順帝には奇しくも、後生――死後の生についての逸話が伝えられている。

 東晋の恭帝はその最後の日々、後に南朝宋の建国者武帝となる劉裕に毒殺されるのを恐れ、
皇后と共に一室にこもって自ら煮炊きしたと伝えられている。そうしたある日、劉裕の意を承
けた兵士に踏みこまれ、毒をあおることを強要された恭帝は、「仏は、自らを殺す者は復(ま)
た人身を得ずと教う」といい、頑として飲もうとしなかったため、兵士達によって窒息死させ
られたというのである。そうして建国された南朝宋も最後の皇帝順帝は、次の王朝を開いた蕭
道成の意を承けた部下によって、別の場所に移送される際、「願わくは、後身、世世に復(ま)
た天王の家に生まるることなからんことを」との言葉を泣きつつ口にしたという。この時、順
帝13歳であった。

 右の二つの話はどれも五世紀のことである。それより前、四世紀の半ばを生きた東晋・袁宏
の『後漢紀』には、仏教の教義内容が知られ始めた頃の後漢代知識人が受けた衝撃を、「王公
大人、死生報応の際を観て、矍然(かくぜん)として自失せざるはなし」と表現している。何に
驚き、范然自失の態となったかといえば、過去・現在・未来の長大な三世の存在と、それを貫
く因果応報の説――肉体が滅んでも精神は滅びず、肉体もまた善因楽果、悪因苦果の報応を受
けて生まれ変わり死に変わりして転変する、生死の輪廻に対してであった。

 もとより当時においても、仏教はそのような輪廻の束縛からの超出を説いたに違いないが、
しかし、実際の信仰は、人間としての後生を願うものであったことを、上記の説話は示してい
る。
[007]中道 ちゅうどう目次へ戻る
助教授 一色 順心(いっしき じゅんしん)

 ラジオ放送の歌番組で「豊かさって何ですか 大切なのはなんですか 自分らしさはなんですか」
というリフレインのつく曲「1948」(白鳥英美子)を聴いた。「もはや戦後ではない この一言
に勇気づけられ豊かさを追い始めた フィフティーズ」という言葉に始まり、1950年代から90
年代までの経過の中で、社会に起こった出来事とその時代に生きた人々の心境を歌ったものである。
過去の四十数年という時間を十年ごとに区切って時代を表現し、現代の聴者に問いかけているこの
曲を聴き、それが私自身の辿ってきた時間でもあり、異様な感動を覚えた。時代や風潮が移りゆく
中を生きている私たちは、何を追い求め、どのような道を選ぼうとしているのだろうか。

 菩提樹下で悟りを開いたブッダが最初に説法されたのは、昔の修行仲間だった五人の比丘(びく)
たちに対してであったという。

  比丘たちよ、如来はこれらの二つの極端を捨てて中道をさとった

 如来が捨てた二つの極端とは、欲望のままに快楽の生活に耽ることと、その逆の行為つまり肉体
的な疲労消耗(苦行)に耽ることであった。苦行はインドの伝統的な修行方法のひとつであり、ブッ
ダ自身も六年の間、呼吸の制御や断食行などの厳しい難行を試みられたというが、それによっては
聖者の知見は得られないとし、苦行を捨てたのである。

 ともすれば、世の中の出来事や自分の生き方についてどう考えてよいのかわからない時、ほどほ
どがいいと言って、曖昧なものこそが中道とでも捉えられているかもしれない。しかし、若き日の
ブッダに与えられていた衣食住すべてにわたる豊かな生活にもおぼれることなく、極端な難行にも
誘惑されることのない、正しい自覚の道こそがブッダの選びとった「中道」なのである。本当に悩む
べきことを悩まず、悩まなくてもよいことを悩んでいた自己に、智恵の眼が生じた。まさに弓矢を
的に的中させたときの緊張感があり、私たちの人生道を真に言い当てた言葉なのである。
[008]無常 むじょう目次へ戻る
教授 寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう)


                祇園精舎の鐘の声 諸行無常のひびきあり

 壇の浦の合戦で、無残にも滅び去った平家の一門、その人びとに捧げられた有名無名の
琵琶法師たちの弔いの歌、こう理解される『平家物語』のはじまりを告げるこの一句は、
心ある日本人であれば、知らない人はないであろう。
 
 物語の全体を貫いて流れる深い哀惜の情、それと重なってこの「諸行無常」の一句は、
聞く人に独特の悲しみのそよぎを呼びおこす。しかもいかにも醒めた目で、人間とその人
生のうつろいを見る仏教の智慧をよく湛えた、独特の感情をともないながら。

 諸行無常のこころを汲んで、それを今様に歌い直した「いろは歌」も、多くの日本人の
心にしみこんでいる。

         色はにほへど 散りぬるを わが世たれぞ 常ならむ

 「花のいのちは、けっこう長い」、声高に歌う声を聞きながら、鏡にうつるわが顔に、
迫りくる老醜の影を感じて、人の心は騒ぐ。マスコミに登場して時めくあの紳士この淑女
も、やがてその姿が見えなくなり、忘れ去られて、あとに一片の訃報が残る。そこに動く
万感の思いが、溜息とともに「無常か」の一言となって、ふと洩れる。だが、これが人の
世のさだめだと直視せよと、仏教は覚悟したのである。

 二千五百年の遥かな昔、北インドはクシナガラの沙羅双樹のもとで、八十歳の老いた釈
尊は命終わった。その死を、心ある人は「如来は涅槃に入りたもうた」と拝んだ。入涅槃
としての死、これが人類が持つことのできた、最も意味深い死であろう。

入涅槃する釈尊が語り残した最後のことば、それを漢訳経典はこのように伝えている。

  比丘(びく:出家の修行者)たちよ、諸行は無常なり。汝らは、不放逸にして精進せよ。

この世に、最後まで頼りになるものは何ひとつないと、覚悟しなさい。ただ、如来の説い
た真実の言葉を除いては。それを求めそれを聞く。人生の一大事はここにある、と。
[009]愛染 あいぜん目次へ戻る
教授 佐賀枝 夏文(さがえ なつふみ)

 愛染という言葉を日常の生活でつかうことはないが、ふと、玉手箱のふたがあいて
「花もあらしも・・・・・」という歌詞のメロディが流れ、ラジオドラマ『愛染かつら』が  
思い出される。私たちは『愛染かつら』のせつなくも激しくもえる男女の物語から、
恋慕し、魅せられて、とらわれた愛に言の葉を結んでいる。

 恋が成就するか、悲恋に終わるかということも切実なことである。人やものに執着
する人間は、悩み迷いのなかで生きている。ことに別れのエピソードは人生の悲しみ
やつらさとして語り尽くせないものがある。人やものに執着する尽きない情念を自己
中心から切り離し、自我を離れて生きとし生けるものすべてを救済するのが愛染明王
である。その愛染明王を両わきにすえた曼荼羅が愛染曼荼羅図である。

 別れのつらさは人生において尽きることはないが、親子の別れほどせつなく悲しい
ものはない。それがおさな子を残して早世する親にすれば、尽くせない思いがある。
残されたおさな子は癒えない心とともに生きることになる。また、離婚によって親と
子が離ればなれになることもある。傷心のおさな子たちの救済を目的とした児童福祉
施設として乳児院、養護施設がある。仏教寺院が設立運営する養護施設に「愛染」とい
う名称を冠したものがあり、子供たちの生活と心の場となっている。断ち難くつらい
親への思いをエネルギーとして、いつの日か、その思いを生きとし生けるものすべて
を愛し慈しむ人間となることを願いとして実践されている。

 今の児童福祉施設は「健全育成」を看板に設置され、これを実現するために職員が配
置、運営されている。しかし、人間を宗教性ぬきにとらえて、「健全育成」がはたして
可能だろうかと疑問に思う。下手をすると「愛で染める」的な軽率なことになりはしな
いか。

 つらい人生を糧に、これ自体をエネルギーとして子供たちが、救済者となるための
「生き方をみつける」こと。これこそが仏教福祉の真髄であり、仏教の功徳である。
[010]転生 てんしょう目次へ戻る
教授 寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう)

 ちかごろ、遠藤周作氏原作の映画「深い河」をみた。それぞれに数奇な運命をたどった
人たちが、何か心ひかれるものを感じてインドに集まるという筋だてであるが、その中に
妻を癌で亡くした男がいる。彼は妻の最後のことば、「どうか私を探してください。私は
必ず生まれかわってこの世にいますから。」が忘れられなくて、妻への深い愛ゆえに、妻
の面影を求めてインドまできたのであった。

 そのような、人の命はこの世で生きられるだけでなくて、いわゆる現世と来世
にわたって生きられるとする生命理解は、存外広く、さまざまな文化の伝統の中で共有さ
れている。例えば私であった一つの生命が、その死後に別の誰かとなって、あるいは別の
生命体となって生き続けることを転生という。あの映画でも、そして現代の臨死体験
などで語られる場合でも、死をくぐっての転生は、むしろ肯定的に理解されることが多い
ようである。

 転生する生命がそれぞれに生きる世界が、やがて中国で整った形をとってイメージされ
てきた。いわゆる六道である。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界に、生命は
その行った善悪の行為によって転生を続けていくという、生命理解である。これが六道
輪廻である。

 仏教の正統的立場は、この六道に輪廻し転生する生命のあり方を、肯定するのではない。
反対に、克服すべき迷いの中にある命とみた。地獄は苦痛に満ちた無残な世界であり、
天上界は幸福にみちた境界であるけれども、その天上界は救いの実現した浄土でもな
く、善悪の行為に縛られた輪廻転生を超えた、涅槃の世界でもない。

 仏教は生命を解脱する道をこそ求める。はてしない輪廻を肯定し、転生を求めるもので
はない。輪廻し転生する生命のあり方を、無残な迷いと観るのである。そして輪廻の束縛
からの解放を解脱として求め、輪廻し転生する生命、すなわち生死する命の超越
を、涅槃として求め続けるのである。
[011]解脱 げだつ目次へ戻る
教授 寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう)

 ちかごろ、解脱ということばを、おりおり眼にする。この解脱は、すっかり生活のこと 
ばの中に定着しているが、しかしなお仏教の用語としての本来の意味を、かなり色濃く保 
っていることばの一つであろうか。                         
 解脱ということは、字を見ても分かるように、人間を縛っているさまざまなものから解 
放される、ということである。もともとインドの宗教一般で、修行の目ざすものを表すこ 
とばであった。仏教はそれをうけ継いで、”悟り”にかわる大切なものを表すことばとし 
て、積極的に磨いていったのである。だからそこには、仏教の独特の人間理解がある。  
 人間を縛っているものがある、といった。けれども、何が人間を縛っているのだろうか。
そこが仏教の面白いところであるが、人間の激しく動く感情と、底知れぬ欲望と、暗い愚 
癡と、一言でいえば煩悩と、それが引き起こす尽きることのない苦悩と。それが人間を縛 
って、自由を失わせているのだと、鋭くも洞察したのである。             
 そうだとすれば「人間とは何か」という、真剣に人生を考えるときに避けて通ることの 
できない問いに対して、仏教は「煩悩にまみれて生きるもの」という、まことに興味ある 
人間理解を示していることになる。富と物とに対する飽くことのない欲望も、その空しさ 
を指摘されても止むことはない。人を自分の思うようにしようとする我儘な要求も、権力 
と名誉に対する固執も、いくら非難されても捨てはしない。怒りと憎しみ、果ては怨み、 
さらには他人と自分とを比較して起こす劣等感と優越感、これがどんなに人間を苦しめる 
かを知っても、止めることができない。                       
 これが、「人を束縛するもの」と理解された煩悩が乱舞するすがたである。ふと、この 
ような人生に、底知れない空虚さと無意味さを感じたものが、いまさらのように真剣に求 
めるもの、それは、この煩悩から解放されて、自由の主体となることではなかろうか。解 
脱とは、人間のこの深い要求を表したことばである。                 
[012]地獄 じごく目次へ戻る
教授 大内 文雄<おおうち ふみお>

 地獄の沙汰も金次第、という。これをモチーフにした咄に“地獄八景”がある。上方落語の大
ネタで、鳴物入りの何とも賑やかな咄だから、ご存じの方も多いだろう。鯖にあたって知らぬ間
に地獄にやってきた男、この世で放蕩を尽くした挙句、フグを喰<くら>って地獄巡りと洒落込ん
だ若旦那の一行、果ては釜ゆでや針山やらの地獄を渡り歩く四人組が出てくる咄である。金次第
の場面での抱腹ものとしては、川向こうにあるという念仏町であろう。裁きを受ける前に、ここ
で効験<ききめ>抜群の念仏を買っておけば、少々の罪は助かるとかで、真宗・浄土宗は勿論、日
蓮・真言、果ては天理からキリストまで、値段もピンからキリまで揃っている。それで亡者は手
頃な値段の念仏を買い求め、いよいよ閻魔の庁にやってくる.....。

 地獄草紙や六道絵に描写されるいかにも凄惨な地獄とは異なり、“地獄八景”の笑いの世界は、
寺院や信仰を離れたところで地獄がどのように受け止められているか、よく伝えてくれている。

 さて、閻魔の政庁は、最高裁判所のようなもので、その門は落語の中では荘重な鉄<くろがね
>の門として表現されている。しかし、その奥に鎮座する閻魔の姿形については、想像にまかさ
れ表現されていないが、聴き手の頭には中国風の冠とゆったりした官服を着て重々しく坐ってい
る閻魔の姿が思い描かれるであろう。現に奈良・白亳寺の閻魔王像や、その眷属の冥官である太
山王(泰山府君)、人の寿命をつかさどり、人の功徳と罪過との記録を任務とする地獄の官僚で
ある司命・司録の像など、あるいは京都・二尊院の十王図に描かれている中国古来の冥官達は皆、
宋様式と呼ばれる中国風の姿をしている。
 
 地獄という言葉は、梵語奈落迦<ナラカ>の訳で、元来は幸いのない、苦しみのみの世界を意
味しているに過ぎない。それが中国に至り地底の獄界として表現され、凄惨なイメージを実体化
したものとして膨らまされてきたものであろう。さらに日本に至って、因果応報の獄界として定
着していく。

 しかし、先の落語世界の軽やかさは、権威を持ってせまってくる勧善懲悪や倫理道徳を躱<か
わ>す、庶民の健康な精神が現れていると思われる。


[013]蓮華 れんげ目次へ戻る
教授 大内 文雄(おおうち ふみお)

 片かなでレンゲと書くと、春の点景として欠かせない蓮華草であろう。
一面のレンゲ畑を見ると、子供ならずとも、思わずその中に入って行き
たくなる。また、冬の鍋物などに必ず附きものの散蓮華<ちりれんげ>も
「れんげ」と略して言われることが多いように、日々の生活に連想して
使われることの多いこの言葉も、もとは文字通り蓮の華のことであり、
本来は仏教に密接なつながりを持っている。それが、遠くインドに起源
を発し、仏教とともに広く東アジア全域に広まったのには、根は泥の中
にありながらもその汚濁に染まることなく、清浄の花を開くその姿に、
清々しい超俗のありようが象徴されると思われてきたからである。

 このような”蓮華“は、また仏教の普及につれて、仏教美術の中にも
表現されている。仏教美術のデザインとして最もポピュラーなものに蓮
華文があり、これなどは今も梵鐘の撞木<しゅもく>が当たる撞座のとこ
ろに使われたり、また古刹の軒丸瓦に用いられていて、御存知の向きも
多いだろう。勿論、仏像や菩薩の像に、蓮弁を描いた蓮台は不可欠のも
のであるし、蓮地は極楽浄土に聳える宮殿楼閣の前面に広がる池として、
浄土教美術に欠かせない。

 一方、蓮の華には様々な色があり、紅蓮<ぐれん>と言えば、紅蓮華、
真っ赤な蓮のことを言う。しかし紅蓮という言葉は、日本人には色彩そ
のものを指す言葉として馴染まれ、紅蓮の炎、のように使われて、地獄
図や六道絵に描かれる猛炎がまさにそれである。

 これに対し、我々がよく知っている白い蓮華は、梵語を音写して分陀
利華<ふんだりけ>と記される。経典の中には仏を念ずる者を誉め称えて、
「この人は人々の中の分陀利華である」(観無量寿経)と書かれている。
それは純白の蓮華の中に、清澄な自立した姿を見ているからである。

 我々が使う蓮華という言葉は、このように多様に使われている。けれ
ども、春の田や畑を彩るレンゲを摘み、花輪を作りながら、その中を走
りころげるおさない子供たちの姿にこそ、蓮華という言葉に託された、
仏教の本質に最も近いものがあるのではなかろうか。
[014]不覚 ふかく目次へ戻る
助教授 一色 順心(いっしき じゅんしん)


 意識がはっきりとせず、実行すべきことができなかったとき「前後
不覚に陥っていた」と人にもらすことがある。また決して見過ごして
はならないときに、一瞬の油断から「不覚にも」見過ごしてしまうこ
とがある。そのように、日常でいう不覚は、覚えがない、覚えていな
いという意味で使用しているといえる。 

 ところで、私たちは、眼や耳などの器官によってさまざまな色や音
を感じている。最近、携帯電話を耳に当て通話している人々を多く見
かける。ポケットベルを持つ人も然りである。持ってさえいれば何時
でも何処でも受信し発信できるという点で、大変便利な道具だといえ
よう。ただ、私だけがそうなのかもしれないが、電話が掛かる際の「
ピピピー」という音が何処かで鳴った途端、とっさに自分のカバンの
中から電話を捜し出そうと身構えてしまう。本当は他人に掛かった電
話であるのに、自分に掛かったかのように勘違いするのだから、それ
は錯覚としか言いようがない。

  実は、錯覚とか勘違いのようなものが、仏教に言う「不覚」という
ことと深く関わっている。不覚とは、仏の智恵に目覚めないこと、無
明<むみょう>を意味する言葉なのである。ちょうど、方角に迷ってし
まい、進むべき方向が東であるにもかかわらず、西へ向かってしまう
ことがあるように、方角を立てることにより方向を取り違えてしまう
はたらきを無明という。私たちは、自分の失敗を悔やんだり反省しよ
うとする心を持合わせてはいる。しかし、不覚にも失敗したのは偶然
で、失敗するはずのない自分こそが本当の自分だと考えてしまう。仏
教は、それを危ないと教えてくれる。いつ失敗しても不思議ではない
人生を送っていながら、物事を捉える方向を取り違えてしまっている
からである。

 大きな決断を迫られたとき、「覚悟はできている」などと言うこと
がある。覚悟の理由やその行方でなく、そう決断しようとしている自
己自身を見据えさせるものが、無明の闇を破った仏の智恵なのである。 
[015]ルンビニー るんびにー目次へ戻る
助教授 佐賀枝 夏文(さがえ なつふみ)

 民間の経営する幼稚園、保育園の名称をみてみると、それぞれの設
立や実践にたいする願いなどの由緒をたどることができる。そのなか
にルンビニーというものがある。幼稚園や保育園にルンビニーを名づ
けているのは、ブッダ(仏陀)誕生の聖地に由来しているからである。
この言葉は古代インド語のサンスクリット語の Lumbiniから音を写し
て藍昆尼やルンビニーとしてつかわれている。この名称にこめられた
願いはただ単に、ブッダ誕生の聖地であることと幼児教育を重ねただ
けのことではない。そこに仏教の教えに人生を学ぼうとする仏教保育
の真髄をたどることができる。

 幼児教育界では『幼稚園教育要領』や『保育所保育指針』が改訂さ
れて、新しい時代を迎えようとしている。これは過熱した知育偏重の
反省にたって、「ひと」の土台づくりの大切さを文部省も厚生省も同じ
ようにうちだしたものである。幼児期は遊びをとおして対人関係を学
ぶこと、友だちとお互いの個性をみとめあって育つことは大切なこと
である。しかし土台がしっかりすれば、のちの学校教育に耐えられる、
という考えは賛成しかねる。

 「おとな」たちがつくった文化は多くの人生の難問をあたかも解決し
たかにみえる。しかし生老病死を「こども」たちの生活の場から、遠ざ
けて見えなくし、さらにこどもたちを人生の「迷子」としているのでは
ないだろうか。

 ブッダの八〇歳の最後の旅は、王舎城を発ち終焉の地となったクシ
ナガラまで二百キロにおよぶものであった。クシナガラはそこからカ
ンダキ川のはるか彼方に誕生の地ルンビニーを望むところであった。
そのブッダの生涯は、避けることのできない生老病死の悲しさ悩みを
本流とした求道の歩みであった。

 現代の社会は親を中心にして人生の「迷子」をつくりだしているよう
にしかみえない。

 その警鐘を鳴らししつつ、生老病死の人生へひたむきに果敢に挑戦
する「ひと」づくりが仏教保育の実践園でおこなわれている。   
[016]大事 だいじ目次へ戻る
助教授 沙加戸 弘(さかど ひろむ)
     
 日常口にする。「大事な品物」、「大事な用件」、「大事な人」と。
もとは、さまざまの仏が人々を救済するために世に出現することを
言う。「大事」、または「一大事」。
 我々の立場からは、出現した仏に出会うこと、仏道に志すこと、修
行して悟りを開くこと、さらには自らの生き方を発見すること、何が
自分にとって一番大切なことであるかを見出すこと、自分の一生をそ
れにかけてよいということに出会うこと、これが本来の大事である。
『徒然草』の五十九段に、

      大事を思ひ立たん人は、去りがたく、
      心にかからん事の本意を遂げずして、
      さながら捨つべきなり。 

とある。今の言葉にすれば、「自分の生れた目的を見出すために出家
をしよう、と考える人は、どうしても心離れず気にかかって仕方がな
いという事も、これをやり遂げてから、などとは考えずに、全部捨て
てすぐに行動をおこすべきである」ということになろうか。
  また一方では、生命に関わることも大事とよばれた。軍記物語など
には、「大事の手」(生命に関わる手傷)と出てくる。
 さらに一般化して、冒頭の例のように、比較的重い事柄を大事とよ
ぶようになったのである。
 時代劇の定まった表現の一つに、「御家の一大事」がある。当然こ
れは武家の基準に従った大事である。何よりも大切なことを大事とよ
ぶこと前述の通りであるから、単なる家臣の失態や事故などはこれに
該当しない。「主家が存続するか否か」、これが武士における大事の
認識である。

 大きな飢饉や戦乱の続いた室町時代、本願寺蓮如は、安心して生き
るために、真実の法に出会うこと、そして我身ひとつのゆきどころを
見定めることが「一大事」である、と喝破した。
自分にとって何よりも重く大切なこと、自らの心身と引き換えにで
きることのみを「大事」とよびたいものである。
[017]内証 ないしょう目次へ戻る
助教授 沙加戸 弘(さかど ひろむ)
     
 「ないしょ ないしょ ないしょのはなしは あのねのね」
と童謡にある。
もとは文字通り「内の証」で、内面のさとりを意味する。自
らの心の内のさとりであるから、自内証とも言う。
これに対することばは「外用」。外用の用は「はたらき」の
意。従って内証は、あくまで人間の行動と対応するもの、人の
行為のよりどころとなる考え、というのが仏教用語としての本
義である。

 他者のうかがい知れない内面の世界、というところから、お
もてむきでない、内密の、という意味に使われるようになり、
さらに具体的に、奥まった場所、くらしむき、金まわり、個人
的な都合、妻などをあらわすことばとしても用いられ、その意
味する範囲が非常に広くなった。

 忠臣蔵のよくある演出に、
浅野はおもてむき五万三千石じゃが、塩田を持っておるに
よって、内証は至って裕福と聞いておる。それ相応の礼儀
を欠くことはあるまいて。
と、吉良上野介が心付を期待して側の者に語る、というのがあ
るが、この場合の内証は藩の財政の意味である。

 また、『仮名手本忠臣蔵』には、
塩冶判官が内証かほよの頼み。
とあって、これは妻女を意味している。

 このような多くの意味から、現代の日常語には、「人に言え
ない、内密の」という意味だけが残った。さらに発音が「ない
しょう」から「ないしょ」へと変化したのが冒頭の用例。内緒、
内所はあて字である。
 とりわけて近時は、他人には言えない、世間に知れると大変
なことになる、首どころか、会社の一つや二つふっとんでしま
う、というのが流行のように見受けられる。
 この流行は決して好まないが、この世に棲んで密事と無縁の
生活が難しいこともまた事実である。
 しかしたまには、もとの意味にたちかえって、人の行動のよ
りどころとなる信念、というほどの意味で、「私の内証は」と
確認したいものである。
[018]愚痴 ぐち目次へ戻る
助教授 一色 順心(いっしき じゅんしん)
     
 「世間の人たちにはあれほど親切で饒舌なのに、家に帰って来ると、
ちっともしゃべらない。なんでこんなに思いやりがないの」と言われ
てしまった経験がある。自分の希望どおりでない時には、だれしもつ
い愚痴が出る。

 「愚痴をこぼす」「他人の愚痴を聞いてあげる」などと言われる
「愚痴」とは、こぼすことによって状況が好転する見込みもないのに、
くどくどと嘆くことを意味する。聞かせる相手にとっては迷惑な話な
のに、グチる本人は、自分の心の中に秘めておけなくなるのだから、
どこか愚かさが表れてくる。一方、自分の置かれている境遇が良好で
順調な時には、あまり愚痴は出てこない。愚痴っぽい人は嫌われ、逆
に、愚痴一つ漏らさない人はその辛抱強さを褒められるのが常である。
しかし、出たり出なかったりする性質のものが、愚痴の真意なのだろ
うか。    

 仏教でいう「愚痴」は、愚癡とも表記し、仏の智恵に暗いこと、衆
生の根本的無知をさす。数ある煩悩の中でも「貪欲<どんよく>」「瞋
恚<しんに>」「愚痴」は、仏道を歩む者にとっての三毒と名づけられ
るように、もっとも根強い煩悩である。大乗経典には、衆生の三種の
病とその治癒法が説かれる。 

        「貪欲の病には骨相観を、瞋恚の
         病には慈悲観を、愚痴の病には
         縁起観を教える」(『涅槃経』)

  愛欲に溺れている者には、その対象がどれほど魅力的に見えようと
も、結局、骨でしかないと観察させる。怒りの多い者には、なぜ腹立
たしいのかを見据えさせ慈悲の心を回復させる。無明の闇に覆われて
誤った見方しかできない愚痴の者に対しては、縁起の理法を観察させ
るというのである。

 様々な条件が相待つことにより私の現状はあり、それを固定的に見
ることはできない。愚痴一つこぼさない人が、先々もそうかといえば
縁によってそうなっているにすぎず、別の条件がととのえばいつでも
変化する。ブッダが目覚めたとされる「縁起」は、一見、当たり前の
道理のようでありながら、頑なにそれを見えなくさせる根源こそが
「愚痴」という煩悩なのである。
[019]利益 りやく目次へ戻る
教授 小野 蓮明(おの れんみょう)
     
 人はたえず自分の利益を求めて生きる。この現実の社会全体が、すで
に利益社会と呼ばれて、利潤追求の機構となっている。さまざまな関係
結合の紐帯が、利益的関心に置かれていて、それが近代社会の基本的な
要素の一つとなっている。いわゆる利分、得分(もうけ、とく)の関心
で成り立っている、といってよい。

 宗教においても、人の祈りに応じて利益をもたらしてくれるのが、よ
い宗教であると考える人がいる。人の祈りにも、集団における共同祈願
と個人的な祈りがあるといわれ、たとえば、雨乞い、日乞い、疫病送り
とか、息災延命、家内安全、商売繁昌など、多種多様の祈りがある。人
は、現実の生活苦からの離脱を求めて祈りつづけ、その恵みとして与え
られた恩恵を、ご利益というている。

 しかし利益ということには、自分が利益を得るということだけでなく、
他の人を益するということ、恵みを与えるということがなければならな
い。仏教では、仏の教えに生きて得られた恩恵を、自利・利他の益とし
て明らかにしている。自ら利益を得ることは同時に、他の人びとを利益
することでなければならない。それが菩薩の精神であり、実践である。

 仏の教えによって得られる利益は、金銭上や物質上の利益ではなく、
自らの生存在に自覚的に醒めて生きる、自覚者の誕生である。釈尊は、
その誕生のときに、七歩あゆまれて天を指さし、「天上天下唯我独尊」
と叫ばれたといわれる。それは、世の中で自分が最も偉いというのでは
なく、自らのいのちの尊厳性に最も深く目覚め立った叫びを、言い表わ
したものであろう。

 その仏陀の教言に出遇い、教えに導かれ育てられて、われわれもまた、
自らのいのちの尊さに目覚めて生きるものとなるのである。教えのもつ
最も深い意味での利益は、一人ひとりが、仏の本願に喚び覚まされて、
最も尊いものとして自己を生きる自身の獲得ではあるまいか。そこに自
ら人びとを利益して、ともに生きるという、共生の生が開かれるのでは
ないだろうか。
[020]名声 みょうしょう目次へ戻る
教授 藤田 昭彦(ふじた あきひこ)
     
 幼稚園にいると絶えず、話し声や笑い声、叫び声、それに小学校以上に
なるとあまり聞くことのない泣き声までが聞こえる。先生は幼児の声に敏
感であり、子どもたちもまた先生の声にすばやく反応する。ある行事で司
会をする先生の声に、3歳の男児が興奮して、「まあ、かわいい声」と感
動していた。声音はなかなか文字にしにくいが、かわいい声が幼児を魅了
し、名声を博することに気づかされた。

 幼稚園の先生は、にぎやかな保育室を静かにさせて、子どもたちにいき
わたるように話しかけるのである。そして、先生が投げかけたことばに口
々に答えようとする子どもがいる。一見すると、やかましくて何も伝わっ
ていないかのようである。でも、昨今いわれる大学生の授業時の私語とは
質的に全く異なるように思える。

 私語の世界に入り込む大学生にとっては、教壇に人がいないに等しい状
態である。しかし、幼児たちが他を押しのけてでも話そうとする声は、ま
さに先生に応答して何とか聞いてもらいたいというところから出てきてい
る。緊密なコミュニケーションがそこにあり、先生の声とその存在がいか
にも大事な要素になっている。

 名声<みょうしょう>とは、仏教の世界でも評判や誉れをいうのである
が、仏を言い表す「名号」という理解もなされる。声が伝えるのは、尊き
仏の教えであり、耳を澄まして聞き入ることになる。「声聞<しょうもん
>」とはこのこと、そしてそうする人を指している。

 声の魅力が人を惹きつけるのはいうまでもないが、声が運んでくれる大
事なことを忘れてはならない。荘厳な雰囲気の中で荘重な声音によって執
行される仏教儀式はいまや、経典を読誦する者以外には、そこにこめられ
た仏の教えが伝わりにくくなっている気がする。

 素読の習慣もたち消え、経典の文章が見知らぬ外国語であるかのように
受け止められる現代だが、大事なことがらを文字にしたためるだけでなく、
もっと声にあげて確かめることがあってよいと思うのである。
[021]三蔵法師 さんぞうほうし目次へ戻る
助教授 佐藤 義寛(さとう よしひろ)
     
 孫悟空を主人公とする『西遊記』は、テレビドラマやマンガになるほど
日本人にもなじみの深い物語であるが、この『西遊記』に登場する三蔵法
師、この「三蔵」というのを、僧侶の名前だろうと思っている方がおられ
るかもしれないが、これは決して固有名詞などではない。歴史上、三蔵法
師は決して『西遊記』の三蔵一人ではない。

 そもそも「蔵」とは、サンスクリット語の「ピタカ」の漢訳語で、仏教
に関する様々な文献の「集大成」を意味する。「三」というのは、それら
の文献を「経・律・論」の三種に分類したものを言う。そしてこの「経・
律・論」の三蔵を翻訳した高僧のことを三蔵法師と呼ぶのである。

 その三蔵法師の中で最も著名な、そして『西遊記』のモデルともなった
玄奘〈げんじょう〉は、唐の貞観三年(六二九)冬に長安を出発し、西域
の諸国を巡って印度にまで至り、多くの仏像や教典を携えて長安に戻り、
その後多くの訳経を行ったと伝えられている。

 当初、玄奘は何人かの同志と印度への歴遊を望んだが、当時の唐王朝は
これを許さなかった。仲間たちが一人二人と去るなか、当時二十八歳の若
き玄奘は、ただ一人禁令を犯してまで印度へ向かったのである。過酷な自
然を乗り切る肉体的な強さは言うまでもないことだが、むしろそこまで玄
奘を駆り立てた「求法の思い」と強靭な精神力にこそ、われわれは驚嘆を
感ぜずにはいられない。 

 そして彼がもたらし、訳出した数々の典籍、それこそはとりもなおさず
「三蔵」であったのだが、この玄奘の訳出した「三蔵」こそは、後の人々
の求法の道しるべともなったのである。現在も玄奘の訳出した「三蔵」の
多くは、大蔵経などによってわれわれも眼にすることができる。言ってみ
るなら「三蔵法師」という呼び名は、単なる訳経僧にではなく、自らも求
法の精神に溢れ、人々にもその依るべき手がかりを示した玄奘にこそ最も
ふさわしいものであろう。そう考えると「三蔵法師=玄奘」と、人々が思
うのも納得できよう。

 玄奘とそして「三蔵」の典籍に込められた求法の精神は、ぜひ後世へと
受け継いでゆきたいものである。
[022]方便 ほうべん目次へ戻る
教授 小野 蓮明(おの れんみょう)
     
 ”嘘も方便“ということがある。嘘はよいはずがないが、物事を円満に
おさめ、迷いからめざめさせるために、時には必要な場合もある、という
ほどの意味であろうか。

 「方便」はウパーヤ(upaya)の訳で、近づく、到達する、巧みなてだて、
便宜的な手段や方法という意味をもつ。仏が衆生をさとりへと導くための
てだてとして説かれた教えの意味で、真実に裏づけられた、仏の衆生教化
の方法・はたらきをいう。

 人間ひとりひとりの機根、すなわち性質や能力は、けっして一様ではな
い。人それぞれの機根にしたがって、教え導く仏のすぐれた智を、方便智
といい、そのはたらきを善巧方便という。仏教では、方便は虚言ではなく、
あらゆる人をさとりへと導くすぐれた教化の方法であり、仏のもっとも具
体的なはたらきである。あらゆる手段をめぐらして、人びとを真実の仏道
に引き入れることを、方便引入といい、また真実の道に導入するために設
けられた教えを、方便仮門というのである。

 方便にはさらに、すべての形や相を超えた究極的な真理であるダルマ
(法)が、人びとを救うために自ら形相をとって、はたらきでるすがたを
意味する場合がある。親鸞は『一念多念文意』で、「方便ともうすは、か
たちをあらわし、御な(名)をしめして衆生にしらしめたまうをもうすな
り。すなわち阿弥陀仏なり。この如来は光明なり。光明は智慧なり。智慧
はひかりのかたちなり」といっている。

 方便は、真実に対する仮を意味するのみでなく、真実そのもののはたら
きである。阿弥陀仏も、南無阿弥陀仏も、われらを如来の真実界にあらし
めようとはたらく、方便法身、すなわち具体的な相として顕された仏その
ものである。方便は、世間にはたらく仏の智慧であり、無明を破って、光
の世界にあらしめる智慧のはたらきである。

 仏の大悲方便のはたらきに喚びさまされて、真実の世界に、しっかりと
眼を開いて生きるものとなりたいものである。
[023]正業 しょうごう目次へ戻る
教授 藤田 昭彦(ふじた あきひこ)

 入園したばかりの3歳の女児が登園したとき、「明日はママとショッピ
ングに行くの、幼稚園には来ないの」という。そして休んだ翌日、「園長
先生、どうして毎日幼稚園に来ないといけないの」と不満そうにたずねる
のである。幼稚園で遊びたいことがあるときに来ればよいと答えると、少
し満足した様子である。

 女児はまた数日休んだ後、母親に連れられて登園したが、今度は迎えが
来てもなかなか帰ろうとしない。園児4人が積み木やブロックを乱雑に積
み重ねた山を前にして言い争っている。女児は山をひっくり返しては、他
の子どもたちから抗議を受けるのだが、私の方を見てにこにことして、
「喧嘩しているの」と実に楽しげに叫ぶのである。

 いま子どもは、幼稚園で何ができるかを実感し、自分と同じような子ど
もがいて一緒に遊ぶのが楽しいとわかりだしたのである。子どもの生活は
遊びである、とはよく言われる。大人たちがいつも用意する課業ではなく、
子ども自身が発見した遊びを楽しむことこそ、仕事ではない、子どもの正
業だと言える。

 仏教でいう正業 は、生活実践を示す八正道の一つであり、むさぼり、
いかり、おろかさという三毒に揺り動かされない正しい行為をいう。

 このような正業 はいうまでもなく、現代の私たちの生活基盤を支える
行ないでもあるはずだが、いまでは生活を成り立たせるまじめでまともな
仕事としてもっぱら職業に限って用いられることが多い。

 これまで正業であると信じて疑わなかった職業であるが、昨今の経済活
動では、一夜あければ粉飾された虚業であったという激変が生じている。
拠り所をなくして迷わざるを得ない人間のあり方が本当に哀しい。

 幼児の遊びは、大人からは消え失せた正業だが、それもいまいろいろと
課せられる「お勉強」によって少しずつ蚕食されている。いつか職を得て
生活しなければならない人間ではあるが、もう一度仏教に学び、本来の正
業を保てる社会のあり方を求めるべきではないだろうか。 
[024]魔 ま目次へ戻る
助教授 佐藤 義寛(さとう よしひろ)

 中国唐代を代表する詩人で、日本人にも長恨歌や琵琶行などの歌でなじ
みの深い白楽天の詩の一節にこんなのがある。

  苦ろに空門の法を学びてより
  銷し尽くす平生種々の心
  唯だ詩魔のみありて降すこと未だ得ず
  風月に逢う毎に一えに間吟す
                               (愛詠詩)
 仏教に帰依してより日々の苦悩の多くからは自由になり得たが、ただひ
とつ詩作という魔からだけは、いまだに抜け出せないと言うのである。白
楽天という人は、この他にも「酒魔」や「書魔」という表現も詩中に用い
ているのだが、ほかのどの魔よりもこの「詩魔」に苦しめられたようであ
る。
 白楽天を苦しめた、この「魔」という存在は、それほど仏教では重要な
意味を持っている。本来サンスクリット語では「マーラ」といい、これを
音写して「魔羅」とも書く。そもそもは自らの命を奪うものを言ったよう
であるが、同時に悟りに至るための修行を邪魔するもの、煩悩などをも意
味する。後世、三魔・四魔・五陰魔などと様々に分類されるがその多くが
自らの内にある「魔」を捉えたものである。
 もちろん釈尊の修行を執拗に妨げた魔王「破旬(パーピーヤス)」一族
の物語なども存在するが、これとても決して釈尊の外に存在した「魔」で
はない。言ってみれば、釈尊を苦しめた魔王一族の存在というのは、釈尊
自身の心の中に存在した悟りへの障碍を文学的に表したものなのだろう。
いやこの内なる「魔」は、ひとり釈尊のみ存在したのではなく、白楽天に
も、そして私たち自身の中にも存在している。そしてこの恐るべき魔王、
自らの内なる魔に打ち勝つことは、釈尊にとってさえ容易なことでなかっ
た。それゆえ白楽天も生涯苦しんだのであろう。
 釈尊は魔に勝ち、白楽天は真摯に見つめ戦った。せめて私たちも、自ら
の内なる魔の存在に気づいていたいものである。
[025]信心 しんじん目次へ戻る
教授 小野蓮明(おの れんみょう)

“信心は徳の余り”という諺がある。それは、生活のゆとりがあってこ
そ、信仰心も起こるものである、という意味である。現今の厳しい不況下
では、信仰心を起こすひまもない、ということか。

  経済情況が悪化し生活苦が深刻になると、人は望みを宗教に託そうとす
る。超越したものに対する信頼の心情を、一般に信仰という。

 しかし「信は道の元、功徳の母なり」(『華厳経』)とか、「仏法の大
海には、信をもって能入(のうにゅう)となす」(『大智度論』)といわれ
るときの信の対象は、仏によって説かれた教法である。生けるもののすべ
てを、かならず仏の国に生(あ)らしめたいと喚びかけ、もし生まれなけれ
ば仏とはなるまい、と誓う仏の教説である。

 神や仏の力を信じて、その加護を祈ることを信仰というが、しかし浄土
真宗では、「信心というは、すなわち本願力回向の信心なり」(「信巻」)
といわれるように、阿弥陀仏から与えられた信心である。真宗では、信心
を「まことのこころ」とよみ、仏の誓願に喚びさまされた真実の目覚めを
いう。仏の本願を信ずるということは、仏の願心に喚びさまされた、大い
なる目覚めなのである。

 仏の本願は大悲の智慧であるから、本願に開かれた信心もまた、智慧で
ある。仏の智慧に開かれた信心は、おのずから智慧のはたらきをもつので
ある。中国浄土教の善導は、信心の自覚内容として二種を説き、一つには
自身は罪深い凡夫であって、救いの縁なき身であること、二つには阿弥陀
仏は、その身をかならず救ってくれること、と信心の内容を明らかにされ
た。親鸞は、第一の深信は、自身の信知であり、第二のそれは、仏の本願
のはたらきに乗託する深信であると、了解された。

 真実の信心は、仏の本願によびさまされた目覚めであるから、ただ単に
神仏を崇(あが)めて、その威徳に頼ろうとする信仰とは、本質的に違う。
信心は、自己自身と仏への明確な信知を自覚内容とする、深い目覚めであ
り、仏の智慧を生きる自覚なのである。
[026]変化 へんげ目次へ戻る
教授 藤田昭彦(ふじた あきひこ)

 「園長先生、見て」と興奮しながら4歳児クラスの女児が部屋に入って
きた。身体に端切れをたっぷりと巻きつけ、頭にも鮮やかな色の布を載せ
ている。「私はお姫様、こんにちは」とすまして挨拶をする。後には日頃
やんちゃが過ぎる男児が同じような扮装をしながら、「ぼくはお姫様」と
何のてらいもなくいう。

 廊下の真ん中に陣どった子どもたちは端切れが詰まったかごを持ち出し
て、それぞれに意匠を凝らした扮装に余念がない。通行の妨げになるのも
お構いなしである。廊下で追いかけっこをする子どもたちは、いつもと違
うスラロームを楽しむかのように、その固まりにぶつかりもせず走りぬけ
ていく。

 幼児たちは変身したり、また日頃の遊びに変化をつけるのが大好きであ
る。心が倦めば一層刺激的な変化を求めるのがおとなの習いではある。で
も子どもたちは遊びの中で、さまざまな代理体験をしながら本当に変身し
て発達変化を遂げるのである。幼稚園のような場で友だちと一緒に多種の
社会の役割を疑似体験することで、より健全な人間になっていくのだと思
うのである。

 仏教では「変化」は、仏性が種々に形を変え姿を現すことをいう。そこ
から不思議の兆しや神通力によって作り出されたもの、さらには妖怪の類
までも指すようである。救いの求めがあると現れ、おさまれば消えるとい
う。

 想像力に満ちた幼児たちはいつでも、老若男女はもちろんのこと、犬や
虎に、また大きな岩やロケットに、思いのままに成り変わる。心底成りき
っているその姿は、菩薩の境地もさぞかしと感じさせるものである。でも、
空想癖が非難され、おとなになるにつれて変化が終息し、変わることので
きない存在となる。

 わたしたちは人生の最期をどのような姿で迎えるのだろうか。社会がう
つろう中で適切なモデルを見いだせず変身の願望のみが身内にうごめき続
けるのだろうか。おぼつかないことであるが、子ども時代の幸せをかみし
めてみたいものである。
[027]愛 あい目次へ戻る
助教授 佐藤義寛(さとう よしひろ)

「愛」難しい言葉である。

 われわれは、愛を絶対・至高のものと考えがちである。キリストは
「汝の隣人を愛せ」と言い、孔子の説いた「仁」もまた愛であり、テレ
ビは愛は地球を救う」と叫ぶ。しかし、彼らと違って、釈尊は愛は苦だ
と説き、悟りへの障碍物と教える。

 釈尊は、妻をすて、子をすて、家をすてて出家の道に身を投じた。そ
れはまた愛を切りすてることでもあった。愛は深ければ深いほど、切り
すてる時の苦悩もより強い。その強い苦悩を知っているからこそ釈尊は
愛を苦ととらえたとも考えられる。 

 また愛という言葉自体は本来すばらしい言葉ではあるのだが、われわ
れ凡夫の愛の裏側には、常に区別の思いが隠れている。わが子を愛する
心の裏には、わが子とよその子を区別する心があるように、何かを愛す
るという心の裏には、別の何かは愛さないという心が潜んでいる。愛国
心という言葉が、時として危険性をはらむのはこのためである。そして
この区別する心は、すぐに区別したものに対する執着の心を生み出す。
この執着を背景に持つ愛は、単なる己の欲望充足のための愛である。

 そもそも仏教でいう愛とは、トリシュナーの訳語で、この欲望の充足
を求める「渇愛」をいう言葉である。こういう凡夫の「愛」こそが悟り
への障害でもあり、円覚経という経典にいう「輪廻は愛を根本と為す」
の愛なのである。輪廻を脱するために、言いかえるなら、解脱のために
は障碍となるような愛、釈尊自身こうした凡夫の愛を切り捨てることに
よって、より大きな深い愛へ近づこうとしたのかもしれない。

 たとえば飢えた獣の前に我が身を投げだしたという、本生譚に語られ
る愛。けして自己の欲望充足のためではなく、生きとし生けるものに広
く等しくそそがれる絶対平等、無差別の愛、「仏の慈悲」と名づけられ
たこの愛こそが、釈尊が求めた愛であったのだろう。

 また善人のみならず悪人にすら往生の可能性があると説いた、その背
景にある我が親鸞の「愛」も、この愛であったように思われてならない。
[028]同朋 どうぼう目次へ戻る
教授 小野蓮明(おの れんみょう)

 ひとしく真実の教法に結ばれて生きるともを、同朋・同行という。
釈尊と仏弟子たちが、教法に統理された僧伽と呼ばれる和合衆を形成
されたように、真実の教えは、人間のもっとも本来的ないのちの共同
性に目覚めたたしめ、教法に統理された共同体を生むものである。本
願念仏の教えに開かれる目覚めを信心というが、信心は個人の内的な
自覚体験にとどまるものではなく、念仏の法に帰して生きる人びとを
新しく連帯せしめ、「ともの同朋」といわれる和合体の世界を開くも
のである。

 親鸞の場合、関東在住の約二十年の間、常陸(茨城県)を中心に下
総下野にわたって、数多くの人びとを教化された。しかしそれは、人
の師となろうとしてのことではなかった。むしろそれは、

   仏慧功徳をほめしめて
   十方の有縁にきかしめん
   信心すでにえんひとは
   つねに仏恩報ずべし

 と詠われたように、本願念仏の教えを、いまこそ身をもって証してい
くという責任と使命によっていた。その教化の態度はつねに、内には
「名利に人師をこのむ」ことへの厳しい懺悔と、外には「弟子一人も
もたず」という徹底した姿勢を貫き、また、門侶に対しては「御同朋
・御同行」とかしずき、深い敬愛の念をもって交わられたといわれる。
それらの人びとの多くは「下類」とさげすまされ、「いし・かわら・
つぶて」のように生きる群萠の生活者たちであった。親鸞は、仏の本
願に喚びさまされて念仏に生きる人びとを、つねに友とし同朋として、
ねんごろに交わっていったのである。

 利害にとらわれて生きる現代には、あらゆる面で人間の孤立化・孤
独化の現象があらわれている。人間が一つのいのちを共に生きるもの
として、いのちの共同性に目覚めたって生きる真の和合体、同朋社会
の顕現こそ、現代の課題の一つである。中国浄土教の曇鸞が、「遠く
通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり」(『浄土論註』)とい
われたような、同朋社会の実現が望まれる。
[029]成道 じょうどう目次へ戻る
教授 藤田 昭彦(ふじた あきひこ)

 幼稚園の中ではいつもどこかで、子どもたちによる道づくりという
開発工事が行われている。

 朝一番にやってきて、部屋の隅から大型積み木を並べ、高低やカー
ブを付けながら、道を造る子どもがいる。後からやってきた子どもた
ちは毎日バラエティーのあるその道を渡り歩くのである。時には同じ
部屋で電車の線路を敷く子どもとぶつかることもあるが、お互いに話
し合いながら、跨線橋を共同で作ることで、うまく立体交差させてい
る。

 園庭でも道づくりが進んでいる。砂が盛られることが多いのだが、
今日は小さな如雨露で水を運びながら、くねくねとした道を描いてい
た。コンクリートの通路にまで延長された道は水浸しになってしまっ
たので、よけいなことだが、滑って転ばないように注意しておいた。

 子どもたちは毎日、いろんな道を造成しながら、心の中の思いを外
に表現している。表現手段は様々であり、できあがるものは大人から
見ればとりとめのないことであっても、そうすることで子ども自身が
歩む道を心の内に開発している。いま外の道は成ったが、内なる道は
まさに開発途上なのである。

 仏教で「成道」とは、さとりを開き、仏となることである。そして
「開発」は他人をさとらせること、またその人をさす。釈尊が菩提樹
のもとで自ら真理をさとり、覚者となられたことを祝うのが十二月八
日に行われる成道会である。誕生会、涅槃会とともに仏教の三大会の
一つに数えられる大事な法事である。

 道路建設事業を核にした国土開発は大きな経済効果をもたらすもの
と期待されたが、かえって開発を巡る強欲な思惑が最悪の経済不況を
もたらしたとされる。いま不況に対処するために、有能な人材開発や
有望な事業開発にあくせくしなければならないのである。

 でも、幼児の教育は目先の才能開発ではなく、子ども自身が未来に
生きる力を発達させることを心がけるべきである。誰かが敷いた道は
子どもがさとる道ではないであろう。
[030]通達 つうだつ目次へ戻る
講師 一楽  真(いちらく まこと)

 一般に通達(つうたつ)と言えば、お役所などから回ってくる通知
を指す。隅々にまで行きわたるようにという意味で名づけられたので
あろうが、中には、もらってもあまり嬉しくない通達もあったりする。

 この言葉はもともと「つうだつ」と読む仏教語であり、仏道に深く
達しているという、仏のさとりを意味している。

 「さとり」と聞くと現実離れしたもののように聞こえるかもしれな
い。しかし実は、さまざまな思い込みから解放された、物事や現実を
しっかりと見通す智慧をさとりというのである。

 私たちは、心のどこかで、自分のものの見方や判断は間違っていな
いと思っている。そのように思わないと、自信も持てず、行動に移せ
ないのが人間の性分なのかも知れない。

 ところが、これまで営々と積み上げてきた人間の歴史は、本当に間
違っていなかったと言えるだろうか。確かに、物は豊かになり、生活
も便利になった。しかしその一方で、自然界には存在しなかった物質
を生み出し、自分たちの生きている環境を自分たちの手で破壊するこ
とすら引き起こしている。これを果たして賢さと呼べるであろうか。

 よかれと思って積み上げてきたことが更に深刻な問題の原因になっ
ていく。それは、何が本当に大切であるのかを見通すことができてい
ないのである。進歩、向上という名のもとに、目先の利害ばかりを優
先させてきた結果ではなかろうか。

 自分は間違っていないという思い込み。もっと便利で豊かになるは
ずだという思い込み。この思い込みこそが実は危い。賢いどころか愚
かですらある。それに気づくところに、現実を見通す眼を獲得できる。
そのことを仏教は通達(つうだつ)という言葉で教えているのである。

 さて、次から次へと出される通達(つうたつ)。その山を前にして、
本来の意味に立った、現実を見据え、問題を見通したものであってほ
しいと願うのは、欲張りなことであろうか。
[031]智恵 ちえ目次へ戻る
教授 小川 一乗(おがわ いちじょう)

 世界のいろいろな宗教の中で、仏教は智慧の宗教であると言われる
が、その意味は、どうやら仏教は道理を大事にする宗教である、要す
るに理屈っぽい宗教であるということのようである。ともかくも、こ
のように智慧を基本とする仏教にとって、この言葉は大変重要な用語
である。

 ところで、私たちは日ごろどのような意味で、この言葉を使ってい
るであろうか。「知恵競」「知恵者」「知恵袋」「知恵の輪」「知恵
熱」など様々な用例があるが、知恵という言葉の意味はそれほど明確
ではない。学校教育の問題で、最近「知識の詰め込みだけでは駄目だ。
生きる知恵を教えることが大切だ」と言われたりするように、知恵は
単に「知識」ということでもなく、また、頭の回転の早い「利口・利
発」ということでもない。従って、知恵は科学的知識のように具体的
なものでもなく、功利的目的に必要な利口さのように現実的なもので
もない。その人の人格から滲み出る言葉や発想が、人々の人生の指針
となるような作用を持つ、そのようなものが知恵ということのようで
ある。要するに、正体不明であって、しかもそれに出遇ってはじめて
了解できるのが知恵である。

 さて、智慧という言葉の出所である仏教において、それはどうなっ
ているのであろうか。仏教では智慧といえば、般若のことである。特
に大乗仏教では、般若波羅蜜多を意味している。般若波羅蜜多とは「
智慧の至高性・完成された智慧」という意味である。それでは般若・
智慧とは何かと言えば、仏教の基本思想によって、一切の存在の本質
を見通すのが智慧である。他の宗教では説いていない仏教の基本思想
とは「すべての存在は、縁によって起こっているもの(縁起)であり、
相互に関係しあって存在しているのであるから、関係性を抜きにして
独自に存在しえないもの(無我)である」ということである。私たち
は、自分は「私」という確かな存在であると、私たちは思い込んでい
るが、確かな「私」などはなく、すべての存在は独自に存在し得ない
(一切は空である)と見通すのが智慧である。仏教では智慧の意味は
明確である。
[032]四苦 しく目次へ戻る
助教授 佐藤 義寛(さとう よしひろ)

 「一切皆苦」といい、「苦集滅道」といい、世の中は苦に満ちたもので
あるというのが、仏教の基本的な考え方である。だからこそ人は解脱を求
め、涅槃を願うのだと言っても過言ではない。また王族の子として生を受
けた釈尊が、王城の四方の門外で「生老病死」に苦しむ人々に出会い、そ
れを契機として出家の道へ身を投ずるという話は、「四門遊観(しもんゆ
うかん)」「四門出遊(しもんしゅつゆう)」の故事としてよく知られて
いる。この釈尊の出会った生老病死の四つが仏教でいう四苦である。

 この春ふた月ほどの間を入院病棟で過ごすことを余儀なくされたが、そ
ここそはまさにこの四苦が集約的に存在する場所であった。病で苦しむ人
はもちろんのこと、入院患者の中になんとお年寄りの多かったことか。一
人では歩くこともままならず、食事も排便もすべてひとつベットの中で済
まさねばならぬ人々、そして僅かふた月の間にいったい何人の死に出会っ
ただろう。またたとえ一、二週間の入院であっても、なかにはその検査、
治療にはひどい苦痛を伴うものもある。平穏な日常とは切り離された、苦
に満ちあふれた時間がそこには流れている。

 かつて釈尊は、こうした生老病死に苦しむ人々を済(すく)うべく、王
族の身分をすて修行の道へとふみ出した。同様に入院病棟には、病の、肉
体の苦しみを除こうと務める医者が存在する。しかし日々患者の心を支え、
苦を除こうとしているのは医者ばかりではない。洗顔、食事、排便、散歩、
入浴、寒ければ毛布を、熱が出れば氷枕を、叱り、励まし、愚痴を聞き、
我がままをなだめ、時にはいわれなき非難にさらされ、本来の医療行為と
はかけ離れたこうした幾多の役割を担う看護婦たち。彼女たちの心のうち
にある思いは、かつて王城の門外で釈尊が抱いた思いとなんの違いがある
だろう。そういう意味では、医療現場で働く彼ら、彼女らは、仏法の道に
一番近い所にいると言えるのではないだろうか。

 自らの四苦にすらうまく対処できない身で、そんなことを考えさせられ
た入院生活であった。
[033]冥加 みょうが目次へ戻る
講師 一楽 真(いちらく まこと)

 冥加といっても、最近は生活の中で耳にすることはほとんどない。冥
加金といえば、少しは聞き覚えがあるかもしれない。お寺や神社などに
奉納するお金のことである。神仏に対する謝礼をお金で表わしたものだ
が、それがなぜ冥加と言われているのだろうか。

 冥という字は、「冥福を祈る」とか「冥土のみやげ」という言葉があ
るように、あの世を連想させる。しかしながら、もとは「くらい」とい
う意で、はっきりと知られないことを指している。つまり、知らず知ら
ずに与えられている神仏の加護や、さまざまなおかげ、それを冥加とい
うのである。

 私たちはどんな時に「おかげさま」と感ずるだろうか。ほとんどの場
合が、自分の願いが叶った時ではなかろうか。しかも、自分が直接に知
っている事柄に対してだけ、おかげさまと感ずる。きわめて狭い範囲し
か見ていない。

 ところが、生きているということは実に多くのことに支えられている。
日頃は特に意識することもないが、私たちは他の生き物のいのちを食べ
て生きている。動物たちばかりではなく、植物たちからも、さらに言え
ば、水や空気からもいのちをもらっている。

 この事実を忘れて、自分だけで生きているように思うならば、それは
傲慢というほかはない。自分に都合の良いものは利用し、都合の悪いも
のは排除する、そんな生き方になっていくのではなかろうか。実際、現
代の人間中心の文明は、自然を利用することのみに走り、感謝を忘れて
しまっているように見える。

 あの蓮如も言っている。「いよいよ冥加を存ずべき」と。無数の縁に
支えられ、育てられていることを知りなさい、というのである。冥加と
いうことを教わらなければ、人間中心の発想がどれほど狭く、傲慢であ
るかに気づくことはできないのである。

 この意味で、冥加とは、自分の願い事を叶えるために何かを期待する
ことではない。すでに支えられていたことへの感謝が込められた言葉な
のである。
[034]慈悲 じひ目次へ戻る
教授 小川 一乗(おがわ いちじょう)

 私たちが日ごろ使っている仏教語に「慈悲」があるが、最近、特に気
になる使われ方をしている。というのは、現代医学の本質を露呈してい
る脳死による臓器移植が社会を賑わしているが、そこで臓器を提供する
ことは慈悲行であるという人がいることである。

  多分その場合は、慈悲を「困った人がいれば助ける」というヒューマ
ニズムとか人情と同じ意味で使っているのであろう 。さすがにボラン
ティア活動を慈悲行と言う人はいないようであるが、臓器の提供が慈悲
行といわれたりするのは、仏教におけるジャータカ物語がイメージされ
ているからであろう。ジャータカ物語とは、釈尊の本生譚(ほんじょう
たん)(過去世物語)である。釈尊が正覚を開いて仏陀と成ったのは、
過去世において自らのいのちを投げ出して他のいのち(人間よりも動物
などのいのち)を助ける善行を行ったからであるという物語である。法
隆寺の釈迦三尊の厨子(ずし)に描かれている「捨身飼虎(しゃしんし
こ)」(飢えた虎に体を差し出す)の物語はその一つである。しかし、
このジャータカ物語はすべて、死後ではなく生きているいのちを与えて
いるのであって、脳死による臓器提供には重ならない。しかも、正覚を
実現したことの原因として説かれているのであり、捨身は正覚と連なっ
ている。脳死による臓器提供は正覚に連なっていない。単なる善意でし
かない。

 そもそも慈悲とは、慈は「楽を与え」、悲は「苦を抜く」という意味
であるが、その場合の楽とか苦は、私たちにとって都合のよいのが楽で
あり、都合の悪いのが苦であるというレベルのものではない。私たちの
都合を実現するのが慈悲ではなく、正覚の智慧を実現するのが慈悲であ
る。仏教によって明らかにされたいのちの真実への目覚めを促すのが慈
悲である。従って、「楽を与え・苦を抜く」というのは、正覚の智慧の
世界、「無有衆苦(むうしゅうく)  但受諸楽(たんじゅしょらく)(
すべての苦が滅して、ただ楽のみがある世界)」の実現である。正覚の
仏陀から言えば、私たちに正覚を促して止まない働きが慈悲である。
[035]菩薩 ぼさつ目次へ戻る
助教授 佐藤 義寛(さとう よしひろ)

 寺院や美術館などで、釈迦如来の両脇に脇士(きょうじ)がともに
描かれた三尊形式の仏像や仏画をよく目にすることがあると思うが、
この脇士こそが代表的な菩薩の姿である。

 右側に白象−驚くことに左右に三本づつ牙をもつ、六牙の白象とい
う象の王−に坐した方が、「理」を象徴した普賢(ふげん)菩薩、左
側に獅子に乗った姿で描かれるのが文殊(もんじゅ)菩薩、「三人寄
れば文殊の智恵」と言われるように「智」を体現した菩薩である。とも
に釈尊のそばにあって、その布教の手助けをする存在である。この二
菩薩は、観音菩薩とともに古来大変多くの信仰をあつめた菩薩である。

 そもそもこの菩薩とはサンスクリット語の「ボーディサットバ」の音
訳で、正確には「菩提薩(ぼだいさった)」と訳される。よく使わ
れる言葉ではあるが、その意味するところは時代や人によりさまざま
で、正確に定義するのは容易ではない。もっとも一般的には、「悟り
を求める人」と訳す。 

 しかし、ただ単に自らの悟りを求めるだけではなく、広く衆生の悟
りの手助けをする人、人々の救済に懸命になって、みずからの身をす
り減らすような人、そうした人がよく菩薩と呼ばれる。

 また悟りをえた人を仏とするなら、菩薩とは仏に至る過程にある者
をいう言葉でもある。そういう意味で釈尊の前世、前身を菩薩と称す
ることもある。しかし、菩薩とは決して出家した求道者だけを指す言
葉ではなく、在家の者に対してもよく使われる。そうしたこともあっ
て「山口百恵は菩薩である」などという言い方もされるのであろう。

 いずれにしろ、あまりに完璧すぎて近寄りがたい仏に比べて、菩薩
はある種の不完全さを持つため、人々にとってどこか親しみの持てる、
身近な存在であり、みずからが憧れ、あやからんとするには格好の存
在であったと言えよう。それゆえ人々の信仰をあつめ、多くの仏像や
絵画に描かれ続けてきたのである。

 そして今でも、誰のそばにも、悟りへの手をさしのべ、時には厳し
く、そして優しく導いてくれる菩薩のような存在がいるはずである。
[036]下品 げぼん目次へ戻る
講師 一楽  真(いちらく まこと)

 「げひん」と読めば、品のないことを意味する。これは言葉づかいや
服装などをめぐって、今でも日常的に用いられている。

 ただ、「げぼん」と読むと、意味は異なってくる。もとは『観無量寿
経』という経典に出る言葉で、浄土に往生する者を、その生き方に応じ
て、上品・中品・下品に分けたものである。

 いくら外面を整え、言葉づかいに気をつけていても、それは上品(じょ
うぼん)とは言わない。仏の教えにどれほど誠実であるか、これが上品と
下品の分かれ目である。

 どんな命も決して傷つけない、人を自分の都合で利用しない、決して人
をだましたり欺いたりしない。これらが仏の教えに生きる最初の出発点で
ある。

 現代は経済効率を優先し、環境破壊を繰り返し、命までもが利用価値で
計られるようになっている。仏の教えからは、全くもって遠いと言うほか
はない。上品どころではない。お互いに傷つけあう生き方は、まさに下品
そのものである。

 ところが、特にこの下品に注目した人がいる。親鸞である。それは下品
の姿に、偽らざる人間の現実を見たからであった。お互いに傷つけ合いな
がらも、なお、人として生きる道はあるのか、これが親鸞の抱えた問いで
あった。

 下品の者は下品としての愚かさを教えられて、はじめて生きることの悲
しみを知る。そこに、仏の教えを拠り所として歩んでいく人生が始まるの
である。

 親鸞が「悪人成仏」を主張する根拠もここにある。それは、悪人でも良
いのだ、と開き直ることではない。それならば今流行の言葉でいう「逆切
れ」にすぎない。

 お互いに傷つけ合うことの愚かさを知るが故に、いよいよ仏の教えを聞
いていくのである。その教えを通して、自分を見つめ、この世の在り方を
問うていく眼を得るのである。これは、自分が上品か下品かとこだわるよ
りも、もっと大事なことである。
[037]分別 ふんべつ目次へ戻る
教授 小川 一乗(おがわ いちじょう)

 「分別」という言葉は仏教から生まれ、仏教にとって重要な思想を示す
不可欠な用語である。

 普通、分別といえば、よい意味では「分別がある」「分別盛り」といわ
れ、それは物分かりのいい人という意味であり、悪い意味では「分別くさ
い」「分別顔」といわれ、それは嫌な奴という意味あいで使われている。
しかし、悪い意味での使われ方は、分別のあることを自慢する場合であっ
て、分別という言葉それ自体はよい意味で用いられている。世間の常識に
基づいて、事物の善悪や正邪や、条理をきちんとわきまえ、その識見に基
づいた判断をするとき、分別があるといわれ、世間の常識からはずれると、
分別がないと批判されたりする。従って、分別は世間においては必要なの
である。

 ところが、仏教では、この分別がくせ者であり、仏道の障りとされる。
「虚妄分別」(邪まな世界を作り出す分別)という言い方に代表されるよ
うに、この分別によって、私たちに苦悩が生まれるというのが、仏教の考
え方である。仏教にとって分別とは、認識主体と認識対象を分け、認識主
体を「我れ」として固執(我執)し、認識対象を「我がもの」として固執
(我所執)することである。この分別によって、自己中心的な固執が生ま
れ、それによって苦悩が生まれる。仏教では「煩悩は分別によって生まれ、
分別は戯論(言葉によって固執の世界を虚構すること)によって生まれる」
と説かれる。私たちの世界は言葉によって虚構され、その虚構によって自
己と自己の所有に対する固執が生じ、勝れた他と比較して劣等感を抱いた
り、劣った他と比較して優越感を抱いたりする。その分別によって煩悩
(苦悩)が生まれる。

 人間は善悪・正邪の分別なしでは生きられないが、その分別によって人
間は苦悩する。そうした分別の本質が明らかになるとき、分別は分別のま
まにそれに固執しない智慧の世界が開かれる、それを「無分別智(分別を
超えた智慧)」という。それは分別のない世界ではなく、分別の本質を知
見し、分別が障りとならなくなる世界である。
[038]甘露 かんろ目次へ戻る
佐藤義寛
(助教授・中国文学)
 寒い日の仕事帰りの夕べ、湯気の
たちあがる鍋を肴に熱燗をキュッと
一杯。そんな時口をついて出てくる
のが、この甘露ということばである。
あるいはこんな名の飴玉があったよ
うにも記憶するし、甘露煮などとい
う使い方もする。
 一方この甘露ということばは、仏
典などにもしばしば現れ、ありがた
い如来の説法を「甘露の法雨」と称
したり、涅槃にいたる門のことを甘
露門などといったりする。
 伝統的な漢語の世界での甘露とは、
為政者が善政を敷き、天下泰平になっ
たとき、天が降らせる露のことをい
う語であった。『漢書』という中国
の古い歴史書には、宣帝という皇帝
の時、この甘露が何度も天から降っ
たことが記録されており、この瑞祥
によって甘露という年号に改元さえ
されたという。
 この伝統的な甘露という言葉を、
訳教僧たちは、「アムリタ」という、
甘く密のような味の食物の訳語とし
て用いたのである。アムリタとは、
仏典の注釈書によると、さまざまの
苦悩を癒し、長寿をもたらし、死者
さえも復活させる甘い霊液であり、
常に天人たちはこれを食していると
いわれ、いわば不老不死をもたらす
霊薬のようなものである。もちろん
現世を苦に満ちた迷いの世界と捉え
る仏教の世界観にあっては、現世で
の不死などというものを願うはずが
ない。仏教でいう不死とは、いつま
でも死なないということではなく、
死を(正確には生死を)超越すると
いうことであり、言葉をかえれば、
生死の輪廻から解脱すること、涅槃
にいたるということであろう。
 仏教が中国に伝わった当初、さま
ざまな仏教語(サンスクリット語)
を漢語に翻訳する際、二つの方法が
あったようである。ひとつは、「仏
陀」や「卒塔婆」のように、もとの
音をそのまま漢語に移す音写と呼ば
れる方法。もうひとつは、この甘露
のように、伝統的な漢語の中から類
似した語をえらんで置きかえる意訳
という方法である。こうした意訳語
からは、何とか外来の教えである仏
教を、中国の人々の間に根付かせよ
うと苦労した跡がうかがえはしない
だろうか。
[039]流通 るづう目次へ戻る
一楽 真(いちらく まこと)
(講師・真宗学)
 地球が小さくなった、そんな風に
思わせるほど、諸外国との間は近く
なり、情報に関してはリアルタイム
で飛び込んでくるほどになった。誰
もが便利さと、同時に忙しさも感じ
ているのが現代のすがたではないか。
 そんな中、流通(りゅうつう)と
いえば、ほとんどの人がお金や物資
が往き来することを思い浮かべるで
あろう。しかし、元来はお金などに
限ったことではなく、物事が流れる
水のように広くゆきわたることを流
通は意味している。仏教では「るづ
う」と読む。      
 たとえば、経典を解釈する時には、
古くから三つの部分に分けて読まれ
てきた。すなわち、序分(じょぶん)
と正宗分(しょうじゅうぶん)、そし
て流通分(るづうぶん)である。この
流通分は仏の教えが世に広く伝わる
ことを課題としている。つまり、仏
の教えが広くゆきわたることを「流
通」という言葉に託してきたのだ。
 『大無量寿経』というお経がある。
その流通分には、釈尊が自分が入滅
した後の世を見通して、灯(ともし
び)とすべき教えを説かれている。
それは苦しみ悩んでいる者が、一人
も漏れることなく、生まれてきた喜
びを取り戻すことができるようにと
いう願いから来ている。その根には、
国が違っても、時代が変わろうとも、
苦悩をもち、お互いに傷つけ合って
いく人間の在り方が見据えられてい
ると言ってよい。        
 考えてみれば、人間は未来を見通
す眼がないままに、いつも目先のこ
とに追われ、場当たり的に事をやり
過ごしてきたのではなかろうか。そ
のためにどれほどの過ちを繰り返し
てきたか分からない。本当に過ちを
重ねないためには、自らの過ちを見
つめた上で、次の世代に何を伝えて
いくかが一番の問題となるはずであ
る。              
 便利さと物質的豊かさの追求によっ
て現代社会は膨らんできた。それが
はじけているのに、なおも膨らまそ
うとするのは愚かなことである。私
たちが本当に流通すべきことは何か、
それを考える時期にきている。
[040]縁起 えんぎ目次へ戻る
小川 一乗(おがわ いちじょう)
(教授・仏教学)
 「縁起」とは「すべての存在は無
量無数といってよい程の因縁によっ
て在り得ている」という、仏教の基
本思想を表す重要な用語であるが、
私たちの日常において用いられてい
る仏教語の中で、これほど誤解され
て用いられている言葉も珍しい。
 その代表的なのが「縁起がよい、
縁起が悪いと、縁起をかつぐ」とい
う用いられ方で、吉凶の前兆として
縁起という言葉が用いられているこ
とである。どうしてこのようになっ
たのであろうか。それは同じく縁起
という言葉であっても、「縁起絵巻」
といわれる場合のように、寺社など
の由来・沿革・起源という意味で用
いられる縁起という言葉とすり替わっ
て、その由来などという意味が吉凶
の前兆という意味となったことによ
るのであろうか。
 しかし、そこにはもっと基本的な
人間の問題があるのではなかろうか。
仏教における縁起とは、私たちは因
縁によって存在するのであって、そ
れらの因縁を取り除いたら「私」と
言われる確かな存在は塵垢ほどもな
いという意味である。それを「無我」
というのであるが、それをそのよう
に正確に了解せず、この私がたくさ
んの因縁を頂いて生かされていると
いう通俗的な意味で了解されてしまっ
たからではなかろうか。そうであれ
ば、自分の都合だけを求めているこ
の私が先に存在しているのであるか
ら、自分の都合のよい因縁だけを願
うのは当然である。福は内、鬼は外
となる。そこに縁起がよいとか悪い
と「縁起をかつぐ」という構図がで
てくる。
 いうまでもなく、仏教の基本思想
でいう縁起とは、私が先に存在して
いるのではなく、無量無数の因縁が
私となっている、無量無数の因縁に
よって私が成り立っているという意
味であるから、福も内、鬼も内であ
る。福と鬼が私となっているという
意味である。それがいつの間にか、
縁起が吉凶の前兆を意味する、自分
の都合を願う言葉になっいていると
すれば、仏教の大切な教えすらも、
自分に都合よく理解しようとする人
間の本質が見えてくる。
[041]兎角 とかく目次へ戻る
佐藤義寛(さとう よしひろ)
(助教授・中国文学)
 「智に働けば角が立つ、情に棹さ
せば流される、意地を通せば窮屈だ。
兎角この世は住みにくい。」
 夏目漱石『草枕』の冒頭の一節で
ある。この「とかく」に「兎角」と
いう漢字を用いるのは、いわゆる当
て字であり、最近はあまり見られな
い使い方である。一方こうした当て
字の「兎角」とは別に、由緒ある
「兎角」ということばも存在する。
漱石先生には申し訳ないが少し智を
働かせてみよう。
 いうまでもなくウサギという動物
にはツノなどあるはずがない。そこ
で中国の伝統的古典籍では、ありえ
ないこと、起こりえないことのたと
えとして、この言葉を用いる。もち
ろん絶対ないかというと、時にはあ
るかもしれないと考えたようで、
『述異記』という書物には、「大亀
に毛を生じたり、兎に角を生ずるの
は、兵乱のきざしである。」という
ような記事も見える。この亀に毛が
生えるというのも、兎角と同じ比喩
で、通常「兎角亀毛」と熟して用い
られる。
 一方仏典においても、この比喩は
よく用いられる。たとえば「言葉は
妄想であって、兎角亀毛のようなも
のである。」(『楞伽経 』)とか
「補特伽羅(輪廻の主体たる人間)
は兎角亀毛のごときものである。」
(『毘婆沙論』)というように、そ
の使用例は数多い。
 こうした仏典に用いられる例をみ
てみると、その根底には物質的精神
的を問わず、世の中に存在するすべ
てのものは空である、という考え方
が横たわっているように思われる。
この一切皆空の思想がいかに仏教に
とって重要であるかは、その比喩表
現の多彩さからもうかがい知ること
ができる。曰く、水中の月、虚空の
花、鏡中の像、空中の鳥跡等々。
 この世は兔角のようなもの。一切
皆空である。だとしたら何をあれこ
れと思い悩む必要があろう。そう悟
れたなら漱石先生も「兎角この世は
住みにくい」などと、つぶやかずに
済んだのではないだろうか。
[042]宗教 しゅうきょう目次へ戻る
小川 一乗(おがわ いちじょう)
(学長・教授・仏教学)
 宗教というと、英語のレリジョン
の日本語訳であり、仏教の用語とは
無関係であると了解されていて、本
来は、仏教の用語に基づいて作られ
ている言葉であると知っている人は
案外少ないのではなかろうか。仏教
の用語としての宗教について、宗と
か教という言葉は、古くから中国仏
教において使われ、仏教経典に対す
る解釈の中心問題を、名(経典の名
称)・体(経典の構成内容)・宗
(教説の真髄)・用(経典の効用)
・教(教説の指示)の五項目に要約
する、その中の宗と教とを熟して宗
教という言葉を造ったものと推定さ
れる。その用語例は必ずしも一定で
はなく、「宗の教」「宗すなわち教」
「宗と教」など様々でであるが、後
に「宗の教」という意味に定まり、
宗は教によって指示されるべき真髄
(要点)のこと、教は宗を表示する
文字や文句のことと解釈され、仏教
の要点を表示する言葉という意味に
至っている。その場合、宗教といえ
ば、必ず仏教のことで、仏教の真髄
(宗)を説く法(教)という意味が、
宗教という言葉の内容であった。
 この宗教が、なぜレリジョンとい
う英語の和訳語となったのか。レリ
ジョンという言葉は、その語義解釈
によれば、キリスト教では「神と人
間との再結合」という意味である。
エデンの園において神との約束を破っ
た人間は、神に背いたという原罪を
持って生まれているが、神にその罪
を懴悔することによって、再び神と
結び付き救済されるという意味であ
り、「宗教とは人間と神(聖なるも
の)との出会いである」などと説明
されるのも、この語義解釈による理
解をあらわしたものである。そうで
あれば、神の存在を認めない「神を
持たない宗教」としての仏教はレリ
ジョンでないことになる。
 ところが、このレリジョンについ
ては、キリスト教以前では、「再び
観察すること」と語義解釈されてい
る。そうであれば、宗教とは自らの
人生を立ち止まってもう一度見直す
ことという意味となり、それは正し
く仏教ということになる。しかし、
最近の宗教現象を見るにつけ、仏教
は宗教という本来の意味が見失われ
ているのではないか。
[043]殺生 せっしょう目次へ戻る
木場 明志(きば あけし)
(教授・日本近世近代宗教史)

 「ほんな殺生な!」とは、上方商
人が、無理無体な取り引きを強要さ
れそうな時に口にする言葉である。
そこでの「殺生」は、むごいこと、
残酷なこと、またそのさま、を云う。
 「殺生」の原義は、仏教語で生き
物を殺すこと。仏教では殺生は十悪
の一つであり、僧はもちろん、在俗
の信者たちが日常的な習慣として身
につけるべき五つの戒め(不殺生戒、
不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不
飲酒戒)の、筆頭にも挙げられる。
 殺生について、『沙石集』一ノ八
に見える話。安芸厳島社に詣った僧
が、供えられた魚を見て、本地垂迹
説では、神はもと仏菩薩であるから
慈悲を先とし、人にも殺生を禁給
ふべきに」と不審を抱く。権現神の
返答は、
  殺さるヽ生類は、報命尽きて何
  となく徒らに捨べき命を、我に
  供ずる因縁によりて、仏道に入
  る方便となす。
と、殺された魚は、いずれ死ぬとこ
ろを、権現神に供せられたことが方
便となって仏道に遇える、であった。
 別本類話では、僧に命を助けられ
た鯉が夢に現われ、自分は供えもの

となって仏縁を結ぶはずだったのに、
命だけが伸びたと嘆く。別話には、
生あるものは必ず死ぬから、食され
て僧の腹に入れば、胎生と同じでい
ずれ僧と共に浄土に往ける、とある。
 親鸞の態度については、覚如の
『口伝抄』に見える。魚鳥の肉を饗
せられた時、居並ぶ僧が袈裟を脱い
で食べたのに対し、親鸞は袈裟を着
ていた。わけは、今は仏教が廃れた
世なので、僧の姿であっても俗人と
心は同じだから食する。でも、食べ
るからには食べられる生類を解脱さ
せたく思い、諸仏解脱の姿を表わす
袈裟の格別の働きに期待してみよう
かと思う、と。
 これらの中世の伝承には、仏教が
次第に世俗のものとなっていく道筋
が見えている。と同時に、殺生を肯
定してゆく姿が読み取れる。
 親鸞は、生業のためには殺生を避
けられない人々について「さるべき
強縁のもよおせば、いかなるふるま
いもすべし」(『歎異抄』)と語っ
た。殺生をも行うのが人間であると
見据えるものであり、『沙石集』の
現実肯定とは違い、殺生否定を踏ま
えている点で味わいがある。
[044]長広舌 ちょうこうぜつ目次へ戻る
 一楽 真(いちらく まこと)
(助教授・真宗学)

 長広舌をふるうと聞いて、さわや
かな弁舌を思う人はほとんどいない
であろう。古くは弁舌が巧みである
ことを表す場合もあったが、最近で
は単に長々としゃべることの代名詞
のようになってしまっている。
 この言葉、もともとは仏にそなわ
る勝れたすがたとしての三十二相の
一つ、広長舌相(こうちょうぜっそ
う)
に由来している。仏の舌は広く
て長く、しかも軟らかいために、そ
の顔を覆うことができるという。
 大きいから立派だ、という話では
ない。実際に顔全体を覆っている舌
などを見たら、びっくりするだけで
ある。これは仏の説く言葉が広く響
きわたることを広く長い舌の相(す
がた)によって表しているのである。
 『仏説阿弥陀経』には、次のよう
に記されている。東・南・西・北・
下・上という六方、つまりあらゆる
方角の世界に無数の仏がおいでにな
る。その無数の諸仏がたは、おのお
の広長の舌相を出して全世界を覆い、
まことの言葉を説かれると。

 お互いに通じ合い、響き合うのが
まことの言葉である。たとえ厳しい
一言でも、言い当てられたという実
感が伴うならば、それは忘れられな
い言葉となり、人のこころを動かす
ことにもなる。それが本当の軟らか
さだといえよう。
 また、広長といわれるように、仏
の言葉はどこまでも響きわたり、一
人として漏れ落ちる者がない。それ
は、この世の苦しみ悩みを見つめ続
けているからである。
 ひるがえって我々の言葉はどうで
あろうか。たとえ共通の言葉を用い
ながらも、通じ合うことはなかなか
難しい。言葉によって、人を切り捨
てていることも多い。人の心を開く
どころか、お互いに、孤独という名
の地獄に堕ちているのではなかろう
か。
 通じ合うことのない言葉での長広
舌は聞くに耐えない。にもかかわら
ず、饒舌、悪舌、両舌ばかりが渦巻
いているのが現代である。本当の意
味で、広く、軟らかく、長い舌をも
ちたいものである。
[045]無我 むが目次へ戻る
 小川一乗(おがわ いちじょう)
(学長・教授・仏教学)

 仏教の教えの三つの旗印(三法印)
の一つである「諸法(全ての存在)
は無我である」と、無我が説かれて
いるように、この言葉は仏教におい
て非常に重要な用語である。それで
はこの三法印の中に説かれている無
我とは、どういう意味であろうか。
 私たちの日常用語で無我といえば、
無我夢中とか、無我の境地などとい
う言い方で用いられているのが普通
である。無我夢中といえば、例えば、
我を忘れて夢中になって勝負事に没
頭する様子などを表している。無我
の境地といえば、私心なく執着を離
れた無心な心の状態を表している。
このように、無我という言葉は、忘
我とか無心という意味で使われてい
るのが普通である。しかし、これら
は仏教で説かれる無我という教えの
本来の意味ではない。確かに仏教は
執着こそが苦悩の原因であるとして、
それを離れることを説く教えである。
しかしその場合には、我執(自身に
対する執着)・我所執(所有欲)の
否定という全く別の用語が用いられ
る。どちらにも「我」という語があ
るため混同しやすいが、そのサンス

クリット原語は全く別である。従っ
て、無我という言葉によって、執着
の否定を意味する忘我とか無心が説
かれているわけではない。
 それでは、仏教で説く無我とはど
ういう意味であろうか。インドの宗
教では、自らの善悪の業(行為)の
報いを受けて生まれ変わり死に変わ
りを繰り返すという業報輪廻転生が
説かれる。その場合、過去世から現
在世へ、現在世から未来世への転生
を可能にするためには、身体が死滅
しても、消滅することなく存続する
霊的実在が必要であり、それがアー
トマンと名付けられ、私たち一人一
人と不可分に存在する常一主宰の実
在とされる。そのアートマンが漢訳
で「我」と翻訳されたのである。
 仏教の出発点は、そのアートマン
の実在を縁起の道理(本誌四月号参
照)によって否定し、輪廻転生の世
界から私たちを解放する解脱の道を
明らかにした。従って、無我とはそ
のような霊的実在としてのアートマ
ンの存在を否定する仏教の根本思想
を示している重要な用語である。
[046]加護 かご目次へ戻る
木 場 明 志(きば あけし)
(教授・日本近世近代宗教史)

  多くの日本人が飢えと厳寒に死
  亡したるに、自分共は幸いに生
  きて帰りたる事、此れ仏祖の御
  加護と感謝し喜び居る次第也。
 中国東北部で敗戦を迎え、悲惨な
引き揚げを体験した現地布教所僧た
ちの『帰還報告書』(大谷大学蔵)は、
異口同音に「仏祖の加護」を語る。
 加護とは仏神が力を加えて護るこ
とを云い、目には見えない仏神の働
きを冥(めい・みょう)とするとこ
ろから、知らず知らずのうちに仏神
の加護を蒙 ることを冥加と云った。
「冥加に尽きる」とは、身に冥加を
得たとしか云いようがない場合の表
現である。冥加への御礼・報恩のた
めの布施が冥加金であるが、近世に
は転じて、冥加金といえば営業や特
殊権益に関わる公への税・献金を指
す用語ともなった。
 仏神の加護と云えば、近時の加護
への願いは、ただいわゆる現世利益
を期待することにのみ心を集中させ
ているように思われ、危惧の想いを
抱かずにはいられない。思えば親鸞
の『教行信証』(信巻)は、「金剛
の真心を獲得すれば」と真の仏道を

歩む者であることを条件に、この世
において十種の利益を得ることがで
きると説いている。十種とは、冥衆
護持(諸天善神が常に護る)・至徳
具足(この上ない念仏名号の功徳を
具える)・転悪成善(悪を転じて善
とする)・諸仏護念(諸仏が思いを
かけて護る)・諸仏称讃(諸仏がほ
め称える)・心光常護(仏の智慧の
光明に常に照らされ護られる)・心
多歓喜(未来に往生が決定して心に
喜びが多い)・知恩報徳(仏の恩と
徳を知って報いようとする)・常行
大悲(常に人々を利益する仏の大慈
悲行を行ずる)・入正定聚(正しく
仏の証果に至ることが定まった位に
加入する)、である。
 大切なのは、真の仏道を歩む者の
みに与えられる加護であることに気
づくことであろう。仏の加護とは、
決して背後霊のような神霊が周囲に

あって、人間の身勝手な要求を達成
させる状況ではない。我々が正しく
仏の教えを聞き、ただ常に導かれ督
励されて生きる状態であろう。文頭
の一文も、常に仏祖に導かれて生き
抜いた先人の言葉として読み直したい。
[047]天眼 てんげん目次へ戻る
一楽  真(いちらく まこと)
(助教授・真宗学)

 今でも街角で、大きな天眼鏡(て
んがんきょう)をもって人相占いを
している人を見かけることがある。
ただ、天眼鏡という言葉は、もうあ
まり使われないのかもしれない。若
い人には、虫めがねの大きいやつと
でも言わなければ、きっと通じない
に違いない。
 この天眼という言葉、実は仏教の
天眼(てんげん)が元になっている。
普通、物を見ると言えば、眼で見る
ことを指す。ところが、眼で見る以
上のことが見える場合、肉眼と区別
して特に天眼と呼ぶのである。
 たとえば、音楽の心得のある人に
とっては、楽譜は単なる記号ではな
い。楽譜を見れば、音楽が聞こえて
くるそうである。これも天眼の一つ
と言えよう。無論、音楽に通じたか
らといって何でも見通せるわけでは
ない。いくら天眼鏡を手にしてみて
も、人間についてのすべてを見抜け
ないのと同様である。
 『観無量寿経』という経典では、
我が子との関係の中で苦悩する韋提
希に対して、釈尊は次のように語っ

ている。「汝はこれ凡夫なり。いま
だ天眼を得ず、遠く観ることあたわ
ず」と。ここには自分の身の回りに
とらわれて、広い世界を見渡せない
人間の在り方が言い当てられている。
また、目先のことに心を奪われ、未
来のことを見通せない生き方が押さ
えられている。
 ひるがえって現代はどうであろう。
科学技術の発達により、人間は自分
たちが何でもできるかのように思い
上がっているのではなかろうか。言
わば、何でも見通すことができる天
眼を手に入れたつもりになっている
のである。しかし、発達という名の
もとに、これまで地上に存在しなかっ
た問題を、人間自身が生み出し続け
ているのも事実である。将来にわたっ
て何が大切であるかを本当に見通す
ことができているとは、とても言え
ない。
 私たちに必要なのは、自分がいか
に狭い範囲しか見えていないかを、
はっきりと知ることである。人間中
心の傲慢な生き方を越えていく道は、
そこにしかない。


copying of sutra

S A T O B U N K O